日本刀と鉄、その縁

正峯刀匠は、自家製鋼に情熱を注ぎ、日本各地から砂鉄を入手し、いろいろな砂鉄の特色を知ると共に、先人の製鋼についてよく研究していた人物の一人と言えるのではないでしょうか。その事を発表した論文には、「折り返し鍛錬の場合、特選の玉鋼を使ったとしても、六、七、八回ごろに時々フクレが発生する。ところが、自家製の錦は、磁石で集めたクズを卸したものでも、フクレはまず出ません」と記されているそうです。それは鍛接がきわめて容易であるからと考えられます。それについて、俵国一博士は自身の著書で「鋼の中に含まれる酸素の量が少ないほど、鍛接が容易になる」と述べており、このためには低温還元と、炉中にある時間が少ないことが条件であると指摘しているそうです。一般的には、洋鉄より玉鋼の方がはるかに鍛接がよいとされ、正峯刀匠は玉鋼より鍛接の優れた和鋼を作ろうとしたと言われています。現代の大型たたらでの製鉄の工程は、多くの時間を要しますが、自家製鋼ではその半分とされています。この自家製鋼の方法は、立形の炉形も砂鉄の投入方法も、アフリカの裸族の方法と酷似ているでしょう。正峯刀匠が、裸族の方法により、鎌倉時代の正宗・一文字の鉄を復元しようとしたとも言われているようです。突飛な考えのようにも思われるかもしれませんが、当時は、ごく自然の考え方であったともいえるのではないでしょうか。正宗の「一文字」を再現するには、それが玉鋼ではどうしても適さず、当時、工夫していた製鉄方法でも諦めていたからとされています。また、近年では鍛錬に着目しているようですが、それほど手間のかかる作刀方法が、その昔に行われていたとは考えにくく、単純であったはずだという想像からでしょう。今の科学は、鉄を分析し、なくてはならないほど便利な合金鉄を生産していますが、鎌倉時代の日本刀の鉄をまだ再現できないことをみると、鉄を知り尽くしたとはいえないでしょう。