刀剣と銘

現代、日本刀を作る人は、何月に作っても「二月日」「八月日」と製作年月日を記しているというのをご存知でしょうか。そして、日本刀の茎には、前年に焼入れしていたとしても、当前のように「二月日」と切り込んでいると言います。それは一体何故なのでしょうか。

まず、古来からの日本刀を例に見て行きましょう。江戸時代末期の、現代では最も人気と言っても過言ではない、源清麿十八歳の初めての作刀には「四月日」また、注文した者の銘のある脇指には「十二月日」さらに、試し切り銘のある作は「十月十三日」とあるようですが、清麿のほとんどの作に「二月日」「八月日」と記されていると言います。また、江戸中期に人気を博した長曽祢虎徹は「十二月日」「九月日」などが少しだけ見られるようですが、ほとんどが「二月吉祥

日」「八月吉祥日」となっているそうです。さらに遡ってみましょう。桃山時代から豊臣秀吉時代の京都の刀工・埋忠明寿の作にも、やはり二月八月銘が多くみられるとされています。しかし、奉納刀には「二月日」と記されているようです。以上の作例から考察するところ、特別に記念すべき月日にはその年月日を記し、そうではない一般の刀には「二月」と「八月」を記したと考えられるのではないでしょうか。南北朝時代や鎌倉時代には、関係なく各月の年紀が記されているのに対し、室町時代中期以降に、「二月」「八月」が主流になったというのは一体どういうことなのでしょうか。もしかしたら、下克上の戦国時代になり、新興武士や一般庶民にも暦が普及した結果とも考えられるかもしれません。ありとあらゆる職業の仕事始めが、暦によって統一され、それが後の世まで影響したと言えるかもしれません。