粟田口藤四郎吉光

粟田口藤四郎吉光は、京都粟田口で活躍した鎌倉期中期の刀工。 特に短刀を得意とした。粟田口藤四郎吉光、五郎入道正宗、郷義弘の三人を持って「天下三作」と称される。 代表作は、国宝指定の短刀三振りである。

「厚藤四郎」「 後藤藤四郎」「短刀」銘は 吉光である。織田信長や豊臣秀吉に愛されたため本能寺の変や大阪の陣で多くが焼かれてしまった。「薬研藤四郎」は切れ味を示すエピソードが残っている。

畠山政長が戦に敗れ切腹となった時、粟田口吉光の短刀を腹に当てたが刺さらなかった。別の短刀を使おうと粟田口吉光を放り投げると薬研に当たりそこに刺さった。 これより「薬研藤四郎」と呼ばれ、主人を守る力が宿っているとの伝説が生まれた。

「薬研堀藤四郎」は、足利将軍家から織田信長へと渡り本能寺の変で焼き刃となった。 現在のところ所在は不明である。 平成28年、刀鍛冶水木良光氏が写しを制作した。


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