河内守国助

河内守国助は、江戸初期の摂津国の刀工である。生まれは伊勢国亀山。姓は小林氏。「初代和泉守国貞」と並ぶ「大坂新刀」の始祖である。伊勢国亀山城主関一政のお抱え刀工であったが、関氏滅亡後に、京都の名工「堀川国広」に弟子入りした。

途中、慶長十九年、師匠堀川国広の死去により国広の高弟・越後守国儔に師事した。寛永七年頃、大坂で独立した。「河内守」の受領は、元和年間と思われる。作風は、「小杢目肌」の地鉄に「沸出来」の刃文という華麗さが特徴である。

銘は、「河内守国助」「河内守藤原国助」代表作は、重要美術品「刀 銘 河内守藤原国助/寛永十九年二月吉日」保存刀剣「脇差 銘 河内守藤原国助」がある。

河内守国助の銘は三代受け継がれており、特に、二代河内守国助は「中河内」と称された名工で、連続した丁子乱れが握り拳を連想させるとして「拳型丁子」と呼ばれる乱れ刃で一世を風靡した。


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